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佐々木朗希(ささきろうき)の母親がすごい!気になる兄弟情報など家族構成まとめ!

令和の怪物の名にふさわしい活躍を2022年シーズンは完全試合達成などいろいろと見せてくれた佐々木朗希投手ですが、2023年もWBCで大活躍してくれました。

そんな佐々木朗希投手ですが、その考え方や生き方は家族によって大きな影響を受けており特に女手一つで兄弟と一緒に育ててくれた母親は人として本当にすごい人なのです。

そこで、今回はこのご兄弟を含めた佐々木朗希投手の家族構成について詳しく解説します。

佐々木朗希(ささきろうき)の家族構成について

 

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佐々木朗希投手の家族構成は以下の通りです。

【母親】:佐々木陽子(ようこ)さん
【長男】:佐々木琉希(りゅうき)さん (3歳上)
【次男】:佐々木朗希投手
【三男】:佐々木玲希(れいき)さん (4歳下)


父親は佐々木功太さんとおっしゃいますが、未曾有の被害をもたらした東日本大震災により亡くなられています。

なので、現在は母親と兄と弟の4人家族となっているのです。

男の子3兄弟を女手一つで育てたという情報だけでも苦労は計り知れなかったことがわかります。

また、佐々木朗希投手は幼い頃に震災による被害を大きく受けた被災者の一人であることもこの情報から見えてくるでしょう。

佐々木朗希(ささきろうき)の家族についての詳細!

佐々木朗希

※ 佐々木朗希

次は家族についての詳細をまとめていきます。

ここでは故人である父親の佐々木功太さんの情報も含めて詳しく見ていきましょう。

そこから、佐々木朗希投手があれほど活躍できていてこれからの輝きに期待できる要素もいろいろと見つけることができるのです。

【母親の陽子さんについて】

父親の功太さんが東日本大震災による早くに亡くなったことで、3兄弟を女手一つでしっかりと育てた母親が陽子さんです。

陽子さんは保険関係の仕事をしていたようですが、親戚を頼って引っ越しをしたとの情報もあり転職している可能性もあります。

TwitterなそのSNSやテレビでも映ったことがありますので、見たことがある人も多いでしょう。

佐々木朗希投手が先発する試合を見に行っているところをSNSで取り上げられることがあり、そのたびに美人だと話題になります。

【兄の琉希さんについて】

佐々木朗希投手の3歳年上の兄、琉希さんは小さな時に父親を亡くした影響なのか父親代わりとして弟に接してきた佐々木朗希投手の頼れるお兄ちゃんです。

3兄弟とも野球をやっており、兄も小学生の頃から野球をしていました。

今のご時世兄弟がいるとそのうちの誰かはサッカーなどの別のスポーツに流れる人が結構いるのですが、全員野球というのは珍しいですね。

小さな頃から野球をやっていた琉希さんはピッチャーをやっていたとのことで、その姿を見た弟の佐々木朗希投手は投手を目指したといった情報もあります。

高校でも野球は続け大船渡高校野球部の4番を務めていたのですが、大学に入ったあとは野球とは離れたようで卒業後は一サラリーマンとして生活しているようです。

電通に就職したなどの情報も流れていますが、これは噂話なので就職先については明確ではありません。

ちなみに、佐々木朗希投手の名前は当時3歳だった兄の琉希さんが見ていた特撮ヒーローものから提案されて名付けられたというびっくり情報があります。

その特撮ヒーローものの作品名は『百獣戦隊ガオレンジャー』で、敵として登場する狼鬼から佐々木朗希投手の名前が来ています。

Twitterの画像はその悪役の姿ですが、確かにこれかっこいいですね。

さすがに鬼が名前で入ってしまうのはいろいろとアレだと思いますので、漢字は変えたようです。

【弟の玲希さんについて】

佐々木朗希投手の4歳下の弟である玲希さんは今現在高校生で2人の兄と同じく野球をしています。

今現在は2人の兄の出身校である岩手県立大船渡高校野球部に所属し、2022年の夏の甲子園の岩手県大会にも2年生の1番ショートとして出場しています。

佐々木朗希投手の弟ということで注目度も高いようです。

第104回全国高校野球選手権大会(8月6日開幕、甲子園)の出場権を懸けた岩手大会は岩手県営野球場などで1回戦が行われた。

春季大会で8強入りしたシード校の大船渡は、花泉に5-7で競り負け、初戦で姿を消した。ロッテ・佐々木朗希投手(20)の弟、怜希(れいき)内野手(2年)が「1番・遊撃」で夏の大会デビューを果たしたが、白星で飾ることはできなかった。

引用:https://www.sanspo.com/article/20220710-LU2GSLNZKRPXZIUJ2XK62LQ5TQ/

筆者的には全5打席連続四球というプロでもあまり見ない数字にびっくりしています。

将来プロに進むかはわかりませんが、2023年で大活躍してプロのスカウトの目にとまっていただきたいところです。

【父親の功太さんについて】

東日本大震災で亡くなった佐々木朗希投手の父親の功太さんは葬儀屋で働いていた人物で、町内会活動も説教的に参加していた優しさと思いやりのある人としても地元では知れ渡っていました。

身長181cmあり運動神経抜群の良いお父さんだったようで、こういった部分は遺伝していますね。

野球ではなくバスケットボールを主体にスポーツ活動をしていたようですが、地元の様々なイベントには積極的に参加するタイプで野球もそこでやっていたようです。

いわゆる地域にある親も子供も参加するような野球ですが、そこで野球はほとんど未経験だった功太さんが思わぬ好打者ぶりを発揮してホームランを打ったというびっくり情報もあります。

佐々木朗希投手が子供の頃に参加していた野球クラブでの出来事だったようで、佐々木朗希投手の子供の頃の良い思い出の一つとなっています。

そんな功太さんは東日本大震災の津波被害に遭い、命を落としました。

享年37歳と早すぎる死であり、そのときの佐々木朗希投手は小学校3年生と早すぎる別れとなります。

佐々木朗希投手と母親のエピソードを教えて!

女手一つで3兄弟を育てた母親の陽子さんですが、佐々木朗希投手の大活躍によって家族への注目度が上昇したことからいろいろとエピソードが発掘されています。

ここではその中から特に気になったものをピックアップして紹介しましょう。

【お弁当を3つ持たせていた】

 

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ガッツリと運動をしている高校生はとにかくガッツリと食べます。

これは高校野球部に所属していた佐々木朗希投手も一緒だったようで、毎日お弁当を3箱は食べていたようです。

この3箱分のお弁当をいろいろと忙しかったはずの陽子さんが作って持たせていたという情報があります。

実際にそういった陽子さんの努力を身近に感じていた佐々木朗希投手は常々母親への感謝の気持ちを述べており、「野球をやらせてもらい感謝している」といった旨の言葉も発しているのです。

【早寝早起きの教え!】

 

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寝る子は育つといった言葉は昔から日本にあり、すくすく育つ子供にとって親が特に意識する教訓でもありますが、陽子さんはそれをしっかりと実践しました。

その行動に至った考え方も素晴らしく『身長があるほうが何をするにも有利になると思った』といったもので、実際にあの高身長から繰り出されるストレートとフォークはものすごい迫力があります。

佐々木朗希投手が少年時代は夜8時には寝ていたとのことで、その結果今のような192cmの超大型投手になることができたのです。

プロになった今もその教えを佐々木朗希投手は意識しており、できるだけ早く寝るように意識して行動しています。

まとめ

今回はWBCでも見事な活躍を見せた将来のスーパースター候補佐々木朗希投手の家族構成についていろいろとまとめてきました。

母親や兄弟の情報がいろいろと判明しましたが、筆者的には兄弟が全員岩手県立大船渡高校野球部に所属しているのがかなりびっくりした情報となっています。

また、佐々木朗希投手の考え方や今の高身長には家族の影響がとっても大きいことが再認識できたこともあり、筆者と同じくますます応援したくなった人も多いでしょう。

実際にアメリカ側も将来的にほしい投手として紹介することが多いので、このまま成長したらアメリカで活躍する佐々木朗希投手とその姿を応援する家族が見られそうです。

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