箱根堂ガ島温泉・大和屋ホテル  

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箱根路の歴史

次第とともに姿を変えた街道

 

   箱根越えの一番古い街道は、大和朝廷が東国経営のために越えていった上古道である。大和武尊が、東国遠征の帰り、恋人の弟橘媛をしのび「あずまはや」と叫んだ碓氷峠はこの街道上にある。

 

  また、奈良・平安時代の中古道。足柄道とも呼ばれるこの道は、御殿場から竹の下へ向かい、足柄峠を越えて関本へ出た。どちらも箱根山を大きく迂回している。

 

  「十六日記」の阿仏尼や、三所詣での源実朝が歩いた湯坂道は、湯本の旭橋を渡ったところからはじまる。この道は近古道と呼ばれた。延暦21年、富士山の爆発で足柄道がふさがったため、三所権現(三島神社・箱根神社・伊豆山神社)の参詣道であったのが官道となった。この湯坂道は鎌倉幕府の将軍たちが箱根権現に詣でた道でもある。 

 江戸時代になり整備された箱根越えの道が一般に箱根八里と呼ばれている現在の旧街道である。

  家康によって江戸幕府が開かれると、幕府は全国統治をより確かなものにするために、宿場を新設し一里ごとに一里塚を造り、並木を植え、はては関所を設けるなどして東海道の充実をはかった。交通量の激増にともなって、泥道から石畳に整備されたのもこの時代である。そして、この街道は明治維新後、宿駅制度が廃止されるまで、わが国の第一級の主要街道として栄えてきた。

 

旧街道・畑宿の一里塚

 その後国道一号線ができ、箱根バイパスが走り、東名高速道路へと発展して、石畳は役目を終え、静かな眠りにつくことになる。


250-0404  神奈川県足柄下郡箱根町宮の下66

大和屋ホテル

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